聖域への想い

聖域「大丁場」へ、

 

見学させていただいた記事を・・・

 

上手く書かなければ・・・と気負いすぎ

 

過ぎ去っていく日々(-_-;)

 

さて、

 

何から書こう(・_・;)

 

やはり

 

弟子時代のエピソード・失敗談を

 

織り交ぜながら、

 

正味を言わねば事実談にならない・・・(≧◇≦)

 

かなり・・・話しがさかのぼり

 

しかも、たびたび脱線することと、

 

思いますが、

 

どうぞお付き合いください<(_ _)>

 

 

 

昭和63年4月

 

瀬戸大橋が全開通された時

 

私は牟礼町民でした。

 

香川県高松市、当時は木田郡牟礼町です。

 

源平合戦の舞台で知られている

 

屋島の対岸

 

霊峰・五剣山。その山腹には

 

四国霊場第85番札所、八栗寺があります。

 

その八栗寺へ向かう

 

ロープウェイ乗り場のすぐそばに住んでました。

 

なぜここにいるのか?

 

その山の麓の庵治町・牟礼町で

 

採掘されている「庵治石」

 

また、庵治石はもちろん

 

大島石・万成石などの銘石を

 

加工している工場へ

 

勉強させてもらいに来ています。

 

弟子時代のはじまりはじまり~(*´▽`*)

 

当時を知る人物。

 

そう、あの人を探してみましょう(・_・;)

 

ラン ラン ララ ラン ラン ラン

 

あのレクイエムのメロディーにのって

 

弟子時代の写真が見つかりました。

 

「その者蒼き衣を纏いて

 

金色の野に・・・」

 

な・なんと

 

まさかの・・・(◎_◎;)

 

金色のフォークリフトで参上です・・・(*ノωノ)

 

この日も、一日中

 

海老ぞりならぬ

 

海老曲がりの前傾姿勢での作業

 

真っ白な手・作業着で

 

お墓の部材を

 

加工していたに、違いありません

 

さあ!当時の弟子時代の様子を

 

彼に聞いてみましょう(‘◇’)ゞ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

To be continued

 

 

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